【ピアニストの言葉③】バッハ平均律第2巻①演奏動画あり

  • 2023年1月14日
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こんにちは!としさん@津久井俊彦です!
横浜を拠点にピアノ調律師やってます♪

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年末という事でデータを整理していたら、たまたまウィーンの巨匠ピアニスト、イェルク・デームスがバッハ平均律2巻について話している音声が見つかったので、素人翻訳ではありますが訳してみました。

※彼の家に住まわせて頂いていた時にたまたま録音していた音源です。
※ちなみにこれは彼が考えている事のほんの一部で、それを僕のレベルにまで落として話した内容になります。
※音楽については素人の僕が意訳をするとおかしな事になるため、文の繋がりよりも直訳を意識しました。そのため読みづらい部分もあります。

彼から聞いた別の話もこちらにあります。

イェルク・デームスの話。~自分は音楽に生かされている~

【ピアニストの言葉①】ベートーヴェンピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110

バッハ平均律第2巻

バッハ平均律2巻とはそもそも何なのでしょうか。

バッハは20年間、平均律1巻を作曲してからの間考えていました。「私の息子たち、弟子たち、息子の弟子たち、弟子の弟子たち皆既に平均律1巻を知っている。彼らが勉強出来る教材として何か新しい物を与えないといけない。」と。つまり1巻と2巻には作品としての大きな繋がりは無いものとして考えていいと思います。そもそも名前も「平均律」ではなくて「1巻」としか名付けられていませんでした。しかしこの2巻は平均律の第2部と考えることはもちろんできます。この作品も長調短調の順に12の長調と12の短調で構成されています。

例えばショパンも24のプレリュードを作曲しました。これは曲が平行調の順で並んでいます。しかしバッハの平均律はこのようには並んでいません。基本の音があり、この音が1つのまとまりとして書かれています。つまりCであればC-DurとC-mollです。ヒンデミットという現代作曲家が同じように作曲していますが、彼のソナタには長と短を抜かしてハ調だったりト調のような使い方をしています。
いずれにしてもこの基音との繋がりを考えなくてはいけません。ではどのように考えるべきでしょうか。

各音に倍音というものが存在します。短7度などの不協音も含まれていますね。これらの音程を合わせると和音になりますね。こういった事を直接感じることができるわけですが、今弾いている音が基音から遠く離れているのか、近くにいるのかなども感じることができます。また例えば5度という音程だった場合は元より少し大きく喜ばしい雰囲気になりますね。また下属調だった場合は少し静かに柔らかくなります。こういった音の関係というもの、属調、下属調、または偽終止というものであったり、こういったものから曲の解釈について色々な事を考えることができるわけです。それから不協音と協音ですね。不協音と協音どちらの方が音は大きくなるでしょうか。これはもちろん不協音です。

さてこれはどういう事でしょうか。楽譜に同じように音符が並んでいても同じように弾いてはいけないのです。協音と不協音がどのように並んでいるのか、フレーズの最初なのか終わりなのか、短調なのか長調なのか、あるいはナポリの6度であるとか、7の和音のようなドラマチックな意味を持った和音なのか、つまりは和声的な関係などを生かすことによって音楽は生きてくるわけです。

昔の話が2つあります。パブロ・カザルスと隣で座ってフランス語で話をした事があります。東京での話です。良い機会だと思ってカザルスさんにたくさん質問をしました。そして彼は全ての質問に喜んで答えてくれました。そして最後立ち上がる時に言ったこと。それは「音楽に最も重要なこと、それは同じ音は2つとして存在しない」です。

もう1つはヘンレ社との話です。ヘンレ社の平均律の楽譜には音譜が同じように並んでいますね。実は昔ヘンレ社から電話があって、当時中国で発売されていた楽譜の私の全指番号をヘンレの平均律に載せてインターネットで販売したいとの事でした。私は「それは素晴らしい事だけど、それをするならば指番号だけではなくてフレージングやテンポなど色々な演奏表示を書きこむべきだと思います」と伝えました。そしたら「それではわが社の考えとは相容れないようなのでこの話は無かったことにします」と言われたので、「ヘンレ社が出来てからこの世の中のバッハとモーツァルトとハイドンはひどい演奏だらけになりました。さようなら。」(このセリフはおそらくジョーク)と言って電話を切りました。

私たちは全ての音を木々の葉っぱのように考えなくてはなりません。とても似ていますが、本当に同じ形の葉っぱは2枚と存在しません。例えば指もそうですね。5本あってどれも”指”と呼ばれていますが全く違います。また人が違えば同じ指でも形は全く違うものです。音楽とはこういう物であると考えるべきなのです。つまり全ての音には全ての音なりの人生があると考えます。

ではどのように正しい表現を見つけていくのか。それは誰が弾いているのか、または誰が歌っているのかという事を最初に考えていきます。例えば1番のプレリュード、左手はオクターブの音が2小節伸びていますね。これは何を意味するでしょうか。オルガンの脚ペダルです。つまりこれはオルガンの曲という事なんです。ピアノでこの曲を弾く場合、オルガンのように弾くべきなのでしょうか、ピアノのように弾くべきなのでしょうか。1巻のEs-mollではソプラノが歌っていますね。これはピアノでも歌っているように弾くのです。ですからこの場合は左手はオルガンの脚鍵盤のように弾くべきです。

そして右手はおそらくヴァイオリンでしょう。ヴァイオリニストは何をしなければならないでしょうか。ボーイングです。弓を返すという事ですね。こういう事を考えるとフレージングが必要になってくるという事です。例えば2拍目の6度の跳躍と間の音、日本ではこの32分音符を練習して強く弾く人がたまにいますが、ヴァイオリンでこれを弾くと短い音はそこまで強く弾きません。つまりこの32分音符は静かに弾くわけです。この細かい音は静かに弾いた方が自然だという事ですね。そしてもう1つ、ヴァイオリンでは普通は音が上に向かう時は少し大きくなっていきますし、下がってくる時は小さくなってくるのですが、一番低い音の弦を使うと音は少し大きくなります。ですからここでもこの事を考えるべきです。つまりは楽譜に何も書いていなくても一音一音の強弱をこのようにして考えることができるわけです。

という事で同じ音を絶対に並べないという事。ここから1曲目を見ていきましょう。

続く・・・

演奏動画
J. S. Bach – Präludium und Fuge f-Moll aus dem 2. Band Aufnahme 2018

↑よく泳ぎに来ていた彼の山荘の近くの湖